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福岡と筑後地方を南北に結ぶ西鉄電車

通勤通学需要が主となるこの路線で、37年間走り続けた名物車輌が退役しました。

 

西鉄2000形電車。

1975年の新幹線博多開通、九州自動車道古賀IC延伸を控えた1973年、

九州の交通ネットワークの革命に乗り遅れまいと、西日本鉄道が輸送力の向上とサービスアップを目指して新製した特急型電車でした。

 

高校時代の通学に使っていたご縁もあったことから、珍しく電車に乗りに行ってみました。

(*鉄道サッパリなので、誤りや不足点があるかもしれません。何卒ご容赦下さい)

 

退役1週間前の土曜日。

 

8:32 福岡天神駅

筑紫を出庫した2000形が、普通福岡天神行きで到着。

 

土曜日でしたが、車内は通勤客や少し早めの買い物客で混雑していました。

 

到着前から、カメラを構えたファンの方が10名ほど待ちかまえていらっしゃいました。

折り返し、G083列車:花畑行き急行

 

降車ホームの扉閉鎖・運行開始前の確認作業。

5分ほどの折り返し時間もあわただしく過ぎていきます。

 

1週間前の、2000形下り初便という条件が幸いしたのか、

運転席の後で、ゆうゆうと「かぶりつき」を楽しむことが出来ました。

 

(この翌週、つまり廃止前日にはファンや家族連れで混雑し、特に先頭車両は大変な混雑だったとのこと)

 G083列車 福岡天神→二日市→久留米→花畑

8:37分 福岡駅を定時で出発。

 

(左)青信号を確認しながら、ゆっくりとホームを離れます。

 

(右)次の薬院駅まではノロノロ運行。

反対からは、大牟田を7時25分に出た急行、G076列車。

 

 

薬院駅で、博多駅や福岡市西部の住宅地からの乗り換え客を乗せたあとは、急行列車の本領発揮。

約3.5キロ先、福岡市南部の拠点、大橋駅まで止まりません。

 

(左)歳に似合わずグイグイ加速。高架沿いのビルが飛び去っていきます。

 

(右)速度計は100km超。近年最高速度の向上が行われ、2000形も時速110kmで走行出来るとのことです。

 

(左)右に並木が広がると、まもなく高宮駅(通過)

直線も多く快適な乗り心地。

 

(右)大橋駅到着。隣のホームでは普通列車が接続待ち。反対側にはほどほどの混み具合の急行福岡行きが乗降中。

 

バスでは天神から20分少々かかる大橋まで、急行電車は6分で走破します。

大橋を出ると、次は春日市の中心部、春日原駅まで止まりません。

 

(左)井尻駅を通過中。大きく右に傾きながら、かなりの速度で走ります。駅前には下町商店街が広がる駅です。

 

(右)雑餉隈駅を通過。井尻に続き、ここでも大きく左カーブ。大柄な車体で颯爽と走り抜けます。

 (左)1秒単位で運行管理される日本の鉄道。

もちろん西鉄電車も例外ではありません。

運転士から見やすい位置に置かれ、正確な秒を刻む懐中時計。

 

(右)駅を出ると、一気にトップスピードまで加速します。速度計は105キロ。

春日原を過ぎ、下大利で西鉄が開発したニュータウンへの乗客を降ろすと、水城を超えて筑紫野・太宰府市へ。

 

ちなみに、下大利〜都府楼前間にある水城を境に、気候が大きく変わります。特に冬。福岡市内では雪が積もっていなくても、水城を超えたところから地面が真っ白なんてことも。

 

(左)二日市駅到着。左手には、太宰府線が分岐しています。

 

(右)反対からは、ニューフェイス3000形の普通福岡天神行き。到着後急行列車の運用に入ります。

2000形の事実上の後継者です。

二日市を出ると、田畑が少しづつ増えてきます、

 

(左)今年3月に開業した、紫駅を通過。

2000系とは半年間だけの仲でした。

 

(右)反対からはわりあい頻繁に列車がやってきます。

朝倉街道を過ぎ、車庫のある筑紫へ。

 

(左)筑紫駅。隣では特急用の8000系が白幕を出して止まっていました。朝だけ普通列車の運用で働き、このあとは入庫するようです。

 

(右)筑紫を出た2000系は再び急行の勢いを取り戻し、100kmを超える速度で南へ下ります。

津古駅をまもなく通過。

 

 

 

 

(左)乗客の安全を守る運転士。片時も操作機器から手を離すことはありません。

(中)古めかしい速度計。しかし時速は101km。急行列車をしめす「急マーク」も誇らしげ。

 

(右)黄色信号の中、まもなく小郡駅到着。上には大分自動車道と甘木鉄道の高架線が走っています。

小郡を出ると、急に田園風景に変わります。

 

(左)3000系の福岡行き普通とすれ違います。この列車は福岡駅到着後、10時16分発の小郡駅急行となり、その後終日急行列車として運行されます。

 

(右)端間駅通過。

このカーブを抜けると、宝満川沿いに広がる農耕地帯に突入します。

(左)右側には一面の稲穂。

ガタゴトという列車の走行音以外、何も無いところです。

 

やはりこの近辺は名撮影地なんだとか・・。

沿線から数名の方がカメラを向けていらっしゃいました。

 

 

(右)味坂駅通過。田んぼの中の無人駅です。

九州自動車道をアンダークロスすると、また徐々に建物が増え始めます。

 

(左)坂を上ると、宮の陣駅。甘木線の乗換駅です。

 

(右)宮の陣到着。

人気のないホームをそろそろと停車位置まで進みます。

(左)宮の陣を出るとすぐに筑後川橋梁。

西鉄電車では珍しい「橋」です。

 

(右)余り速度を出さずに櫛原駅通過。

もう久留米の市街地に入っています。

 

(左)高架線を上り右にカーブすると、久留米駅は目前。

 

(右)久留米駅入線。右手にはバスターミナルもある広い駅前広場が見えます。2番線への入線です。

 

久留米を出ると、次は終点花畑(はなばたけ)

高架工事完成にあわせ、2004年に普通のみの駅から特急停車駅に昇格しました。

 

(右)屋根も付いた広い構内。花畑駅到着です。

隣のホームからは大牟田行きのワンマン普通列車が接続しています。

 

 

 

 

 

(左)花畑到着後、折り返しのためしばらくホームで待機します。乗車されていたファンの方も列車を降りて記念撮影。

10名ほどの方がいらっしゃいました。

 

(右)反対側には福岡天神行きの特急

赤い列車特急黄色い電車急行、というイメージがありました。

 

(左)ギョロリとした独特の目つき。

子供の頃は、正直「怖い」と思いました(笑)

ガードの堅そうな、大迫力のお顔です。

 

(右)最後まで優等系統で活躍できたのは、現役バリバリの走行性能のおかげなんでしょうか?急行の方向幕がキマっています。

 

ゆるやかなドーム状の、円形ライト。

結構大きいです。

 

最後の期間は、1997年にVI化された際に取り外された「旧社紋」が先頭部分に復活しました。

どこか倉庫の奥にでも眠っていたのでしょうか。

 

ぜひバス部門でも、リバイバル実施を検討していただきたいところです(笑)

 

(下)無人の列車は、折り返しのため駅の南側へと回送されていきました。

 

 

 

 大 善 寺 急 行

 

 

 

 

(上)以前は、花畑から先の大善寺まで日中の急行は運行していました。久留米〜大善寺間は普通列車として運行されます。

 

 

(左)(右)また、朝夕方を中心に、津福折り返しの急行も運行されていました。

 

  G092列車 花畑→久留米→二日市→福岡天神

 

 

折り返しは、9時33分発の福岡天神行きの急行

 

大勢の乗客が待つ中、堂々の入線です。

 

ホームでの出発待ち。

決して目新しかったり、スマートではないデザインですが、

何か堂々としたたたずまいを感じさせます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車内の様子。

運転席の後は、展望用の小窓が2つと乗務員用の扉。

窓が高く、前面展望を楽しむには少しだけ不便な物を感じます。

 

(下)下り大牟田行き特急を見送ると、上り急行列車もそろそろ出発です。 

 

 

 

定時で花畑を出発。

真新しい高架線を進んでいきます。

 

 

(左)久留米駅入線。

前に特急列車が出ている精か、思ったより乗客は多くありません。

 

(右)筑後川橋梁では、甘木発の普通列車とすれ違い。

 

 

(左)宮の陣駅では甘木からの普通列車の接続を受けます。

 

(右)筑後平野を快走!

 

 

(左)右手がしっかりとそえられているブレーキハンドル。

 

(右)スイッチボックスのようですが、昭和の風情が漂うデザイン、そして大きさ。

今ではコンパクトにまとめられてしまう物なのかも知れません。

 

 

(左)15秒刻みでのダイヤが書き込まれたスタフ。

出来る限りの安全運行と、秒刻みでの正確な定時運行。

これらを同時に実現できるテクニックと神経は、プロフェッショナルのなせる技。

 

(右)二日市へ近づくにつれ、乗客も増えてきたため、カメラをしまい景色を目だけで楽しむことにしました。

 

・・移り変わる最高の景色に加え、乗務員室の緊張感がガラス越しに伝わる、運転席後方。

鉄道が分からない筆者でも、十分に楽しめました。

2000形の勇姿

連れてもらっていた、夏休みの西鉄電車スタンプラリー。

沿線へのバス撮影。

学生の通学時の時。

 

2000形がバリバリと走っていた頃の写真がありました。

写りは良くないですが、一部掲載させていただきます。

 

(右)大橋駅で出発を待つ福岡天神行き急行

6編成いたうち、最後に残った第2編成です。

 

(下)花畑行き急行。目の回りのメタリックが日に照らされ輝きます。 

 

 

 

(左)福岡天神行き急行。上の写真と別の機会に撮った物ですが、これも第2編成です。

 

(右)小郡行き急行の第4編成。人情味の溢れたユーモラスな目つきに思えてしまいます。

(左)平尾駅を通過する津福行き急行

スタンプラリーの帰り道でしょうか?8000系の展望席から撮ったようです。

 

(右)宮の陣駅に停車する大善寺行き急行

テールライトも大きく目立ちます。

(左)工事中の福岡駅に停車する2000系。

完成間近の頃は、ホームの場所がコロコロ変わっていたような記憶があります。

 

(右)すれ違う福岡行き急行と大善寺行き急行

当たり前のように、ゴロゴロと走っていた2000系でした。

(左)二日市駅に停車する花畑行き急行

窓が小さめなせいでしょうか?随分と頑丈そうに見えてしまいます。

 

(右)背景からすると太宰府駅でしょうか?

福岡行き普通列車。2001年に駅名改称されるまでは、福岡(天神)行きではなく、シンプルな福岡行きでした。

(左)二日市駅の太宰府線ホームに停車する2000系。

 

(右)春日原駅で2編成並んだ2000系。当時は何となく撮った一枚らしく、補正をかけなければとても見れた物ではありませんでした。

 2000形 クリスマス編成

2001年のクリスマス。

突如第4編成がクリスマスラッピングに身を包み本線を走り始めました。

 

(左)側面のトナカイとサンタクロースだけでも十分ですが、フロント部分の「Merry X`mas」には度肝を抜かれました。

まるで2000系が大きなマスクをかけているようでした。

 

(下) 福岡天神駅でのクリスマス編成。

何事かと思わせるほど、派手で目立っていました。

 

なお上り福岡天神行き急行に乗ると、薬院駅を出るとジングルベルの音楽がなっていました。福岡駅で停車するギリギリまで2分弱ほどリズムを刻んでいた記憶があります。 

 

 

車内の様子。中にもクリスマスに関連するステッカーが至る所に貼り付けられていました。

 

(左)天井にも雪だるま(笑)

ここまで徹底するとは、デザインされた方の気迫をうかがい知ることが出来ます。

 

(右)ドア回りのサンタクロースとジングルベル。

 

この第4編成。

クリスマス終了後、ラッピングを外さないままスクラップとなってしまったとのこと。

西鉄の方々による「最後の花道」だったのでしょうか。

それにしても粋な列車でした。

 

 

その翌年でしょうか?

やはりクリスマス号編成が走っていました。

 

流石に上のようなインパクトはありませんが、青を基調としたとても綺麗なものでした。

上品にまとまったクリスマスカラーだったかと思います。

 

 2000形  特 急 運 用

 

 

 

 

 

特急列車の第一線を8000形に譲った2000形でしたが、しばしば特急で活躍する姿を見ることが出来ました。

 

(左)社紋マーク時代の特急。大牟田駅で待機中です。

筆者としては、展望席がないので、大変恐縮ながら「ハズレ」と思ってしまっていました。

 

(下)左と同じく第6編成の特急列車。

 

 

 

 

 

 

(左)二日市駅を出発する大牟田行き特急

 

(右)大牟田駅で待機中の特急福岡行き。

VI化後の姿です。

 

 

 (左)駅を通過する2000形特急

このワイドなボディが100kmで突っ走る姿は、とても迫力がりました。

 

(右)大変キタナイ画像ですみません。

朝ラッシュ下りに存在した直行便の2000形運用。

 

お詳しい方に寄れば、一期間だけ2000形の直行が1本だけ存在したとのこと。

 

この直行列車も、2010年春の改正で消滅しました。

 運 転 席

 

 

(左)早朝の筑後平野を疾走する2000形。

 

(右)雨の日の下大利駅に侵入する2000形急行

 


 

37歳での定年退職。

乗車した列車では、家族連れはもちろん、良いスーツを着た移動中のビジネスマンや、

女子学生までがこの列車の引退を知り、前面展望に見入っていました。

 

特に席が空いているにもかかわらず、ずっと運転席の後で前の景色を食い入るように見つめていた老夫婦。

変わりゆく景色の中で、いったい何に見入っていたのでしょうか。

 

 

お別れ間際には沿線至る所でカメラを構える方々の姿があったり、最終列車には「お別れ貸切ツアー」が組まれたりするほどの、ファンからの人気ぶり。

 

しかし本当に注目すべきは、毎日のようにこの電車を見て、利用していた沿線の方々が、この列車の引退を知り、意識に留めていたということ。

それほど筑紫平野に「あって当然の」「なくてはならない」ものの一つとして、認知されていたのでしょうか。

 

 

 新幹線開通・高速道ネットワークの完成・バブル景気・よかトピア開催・三池炭坑閉山・西鉄創業100周年・・。

 

福岡の発展を支え、街の盛衰を横目に走り続けた電車は、最後まで優等系統の第一線を譲らずに筑紫路を駆け抜けていきました。