日 豊 急 行
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小倉と行橋、そして中津を結んでいた無番急行。
通称「日豊急行」。
都市高速の2段書き標記からもお察しになる通り、
バーコード式になる前、検知穴式時代のものです。
他に各停10番も付いていたことから、カマボコかハンペンの赤バスあたりに付いていた幕でしょうか??
▼左:この幕の最南端は行橋まで。
苅田駅前止め、小波瀬止めも健在のバージョンです。
▼左下:都市高速を通らず、三萩野経由のバージョン。
昔から都市高速系統と別に走っていたんですね。。
▼下:北九州での方向幕販売会で、「急行 苅田駅」と書いてあった横幕。
差し迫る購入制限時間のなか、中身を確かめる術もなく購入した1本です。
・・開けてみると、この1コマのみ(涙)
都市高速の色が青みがかった珍品(色あせ?)と自分に言い聞かせつつ
大切に保管しています。
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こちらは58MC初期車の横幕。
上下寸法の狭さからも、58代の二段窓青バス(急行車)に付いていた物でしょうか?ただしこちらはバーコード式。
▼左:中津急行のコマが残っています。
「大手町」と「曽根バイパス」は、細い丸ゴシック系のフォントで書かれていて、違和感を覚えます。
▼左下:「小波瀬」に代わる前は、一体どんな行先コマだったのか??
行橋〜中津間の区間便急行のコマです。
▼右下:こちらは下道経由のコマ。
「小波瀬」はちゃんと最初からプリントされています。
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10番 中津〜小倉 線
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北九州伝統の系統「10番」。
今では恒見発着に残るだけですが、かつては小倉〜中津間を闊歩する多頻度長距離の一大系統でした。当時の威光を感じされるコマです。
▼左:小倉(浅野)〜中津間のコマ。
小倉行、中津行きとも2コマづつ用意されており、途中で方向幕を切り替えていたようです。
この辺りの芸の細かさは、さすが西鉄。
▼左下:小倉、中津、それぞれからの行橋止め。小倉からの曽根営業所止。
▼右下:間合いでしょうか、17番の弥生が丘系統のコマも入っています。
▼左下下:曽根営業所が無くなった後に追加されたコマでしょうか。
小倉〜中津間の表記違いのコマ。2段書きが多用されるようになりました。
▼右下下:こちらも間合い?15番の沼団地系統が登場します。
曽根営業所の代わりに、曽根新田のコマが追加。
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行橋ローカル1番簑島線
・ 2番長井線 ・ 3番宮ノ下線 ・ 12番稲童線
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行橋を基点に、国道10号線より海側の各地域を結ぶ短距離系統です。
言わずもがな、全系統とも廃止されています。
▼1番:行橋駅から海側へ4キロほど進んだ簑島地区への路線です。
▼2番:行橋駅から南東方向へ進んだ長井地区への路線。
▼3番:2番から途中分岐して宮ノ下地区へ向かう路線。
▼12番:こちらは行橋を出たのち、国道10号線を新田原まで南下。
そののち進路を東に変え、海辺の稲童地区まで走っていた路線です。
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行橋ローカル15番岩丸線
・ 17番寒田線 ・ 21番祓郷線
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行橋より南下した、築城・椎田地区の路線です。
昔は川沿いに各町村が分かれており、その町内ごとに海辺のJR駅から山へ向かう路線が伸びていました。
▼15番:椎田を基点に、岩丸まで向かう路線。旧椎田町の町内を走ります。
▼17番:築城を基点に、旧築城町内を山へ向かい、寒田(さわだ)まで向かう路線です。途中、上本庄や寒田を終点とする便もあったようで・・。
○昭和57年改正の時刻表によると、上寒田〜築城間の所要時間は47分。なかには中津まで足を延ばす便や、平日早朝1便のみ、中津発で築城をショートカット(越路経由)の上本庄行きも走っていたようです。
▼21番:行橋と築城を、内陸部の呰見(あざみ)や祓郷(はらいごう)、豊津経由で結んでいた路線です。途中はあざみ止の設定もあったようで・・。
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▲左と右で、「呰」の字の作り方が大きく違っています。
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20番 伊良原線
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行橋地区では中堅系統としてまとまった本数が運行されていた20番。
一時は豊津町内に京築交通が本社を置いていたことからも、重要度が察せられます。
また、京築地区では長い距離を走る路線として、山間部の末端ではかの有名な「西工謹製のパジェロバス」が走っていた路線としても有名です。
▼左:区間便用の幕でしょうか。「京築本社」行きなんてあったんですね!
▼左下:最深部の上伊良原、帆柱へ向かう系統。帆柱は英彦山にもほど近い山中です。既に行橋地区からの直通系統は無く、犀川地区の大村発着となっていた頃の幕のようです。
○昭和58年改正の時刻表によると、帆柱〜行橋間は一日4往復、所要時間は1時間14分と、短距離路線が多い京築地区においても堂々の系統だったようです。
▼右下:朝ラッシュ時の門樋経由の行橋駅行。行橋営業所をショートカット。
▼左右下下:八景山ニュータウン経由の幕です。
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行橋ローカル22番
23番 犀川循環線 ・ 24番 稗田線
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20番の兄弟分22番・23番と、行橋市南部・旧勝山町を結んでいた24番です。
▼22番・23番:上述の20番と併せて豊津地区と行橋を結んでいた系統。木井馬場を南端に循環線を形成していました。
▼24番:20番よりも西側の稗田地区と行橋を結んでいた系統です。
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行橋ローカル33番 宮の杜線
・ 36番 岩熊線 ・ 37番 入覚線 ・ 38番白川線
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行橋から西方向への路線。
行橋市、旧勝山町、苅田町方面の4系統です。
▼33番:行橋駅から国道201号線沿いに西へ、前田が丘・宮の杜の住宅街を結んでいた路線のようです。資料が手元に無く、詳細不詳です。
旧勝山町の岩熊まで足を延ばす系統もあったのでしょうか??
二段書きの「ニュータウン宮の杜」は、昔を彷彿とさせるレトロな表記方法ですね。。
▼36番:国道201号線を西へ、新勝山から北へ曲がり、岩熊まで向かう所要時間30分ほどの路線です。
▼37番:国道201号線の北側を西へ、入覚へと伸びる路線です。終点は、採銅所へ抜ける県道64号線や、平尾台の麓に位置しています。
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▼38番:行橋駅から北西へ、苅田町の白川地区へ向かう路線。
終点は、西側の「谷」と、北側の「山口」に別れています。
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34番 田川〜行橋 線
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今では跡形もありませんが、国道201号線を経由して行橋と田川を結んでいた系統です。田川までの系統が35番、途中の旧勝山町内止めが34番という理解でよろしいのでしょうか??
一見、シンプルながらも、読み取れる終点の数は「新勝山」「新町入口」「新中哀トンネル」の3か所に加え、行橋側も駅止めと営業所行とあります。
○昭和58年改正の時刻表では、新中哀行が朝の1本、同発が朝の2本だけ設定されています。
▼右下:この一コマだけ、なぜか35番です。
注目は他にも、安川通り・門樋経由であること・・。
朝の国道10号線渋滞を避けるためでしょうか?駅の北側、反時計回りにぐるりと南東側に回り込み、駅に向かう経路があったんですね・・。
○同じく昭和58年改正の時刻表では、安川通・門樋経由について、行橋駅に平日の朝7時〜8時代に到着する、35番、36番、37番が各2本づつ、38番が3本の、計9本が設定されていたようです。
○田川直通の35番の方向幕に付いてはこちら→方向幕資料集 田川編
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そ の 他
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▼左:北九州空港〜小倉駅線は、一時期浅野の京築交通持ちが存在しました。
スペースランナーに搭載されていた幕です。
▼臨時コマです。昔の水色枠囲みが味を醸し出しています。
・胸の観音(黒田)・・胸の病気にご利益があるとされる、旧勝山町の寺。
詳しくはみやこ町ホームページをご参照ください。
・今井祇園・・約750年の歴史を持つ伝統行事。
上でご紹介した3番、宮の下終点前にある今井津須佐神社の神事です。
詳しくは福岡県ホームページをご参照ください。
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昔の10番の方向幕 (行橋営業所所属)
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2011年正月に砂津チャチャタウンで行われた、
西鉄バスの方向幕販売イベント。
ここでは、北方線代替バスやよかトピア幕など、由緒ある方向幕がまとまった数出品されました。
その際に入手できた、行橋営業所所属の昔の10番方向幕です。
〜みどころ〜
▼懐かしの○番号
▼34番、35番も搭載されています。
▼10番快速(中津快速)も搭載!所要時間は2時間強、日中30分間隔で運行されるなど、今では信じられない運行系統です。
▼曽根営業所も健在
▼1番簑島線や、20番伊良原線の豊津役場折返しのコマも搭載
▼臨時幕は、上でご紹介した「胸の観音」「今井祇園」のほかに、「長井海水浴場」も入ってます
・・中身を確認するまもなく勘で購入し、開いてみたらビックリ。
さらに開いてみたら同じものを2本買っていてさらにビックリ。
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・・大変貴重な資料を提供して頂きましたBus-Field様に、この場を借りて御礼を申し上げます。。
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